サキュバスの晩餐

sakyunの日記

恋人達のいる焼肉屋の風景

 次々と運ばれてくるテラテラと輝くみずみずしいお肉を

焼き網の上に乗せて語り合う恋人達のいる焼肉屋のカウンター席。

 

 たんぱく質の焦げる匂いは、燃える恋心の象徴であるかのごとく悶々と白く立ちのぼり、銀色の箸づかいの可憐な娘さんの唇は官能的に肉をついばむ。食べるのもそこそこに彼女を喜ばせようと次々と華やかなトークを繰り出す青年の一生懸命さが微笑ましい。

 その若い恋人達と椅子一つ空けた横の席で 枯れた年頃の老人と、地味なご婦人が静かに並んで座っていた。ビールを一口、次にキムチ、ビールを一口、次にハラミ。何かの厳粛なシステムのように規則正しいリズムで食事をしていた。

不意にご婦人が正面を向いたまま言う。

「つまり私たちは終わりなのね。」

老人は答える。

「ああそうだ、君がどうしても僕の望みをきいてくれないからね。性の不一致さ。」

やれやれという仕草でご婦人は首を軽く振り、ビールをお代わりする。

「どうしても”後ろ”じゃなきゃダメなの?”前”は無理なの?」

と、ご婦人は少し咎めるような調子で言う。

老人は口を尖がらせ駄々っ子のように…

「だってどうしても俺は元々そうなんだもの仕方ないじゃないか!」

いささか声が大きくて辺りに響きわたった。

 

 若い恋人たちは高齢カップルの生臭い話に耳を奪われ言葉も食欲も失い押黙る。

血の気を失った肉は網の上で縮み黒く小さくブスブスと炭になりかけていた。

 

回転寿司を食べながら一人思うこと

 多分12年前の私だったら、こんな風に一人で回転寿司のカウンターに座り黙々と食べていることに気恥ずかしさと寂しさを感じただろう。

 でも今夜はもうそんな風に思わなかったんだ。

連れの男がいたらいいのになんて微塵も思わない。むしろ、思い返すと男が食べた分まで代金を払わなければならないので、次々とうず高く積まれていく皿の数に内心ハラハラとしながら自分は大して好きでもない巻物を頼んで皿3枚に留めて、お茶をがぶ飲みして腹を膨らませ、ガリをかじって相手が食べ終わるまで「お腹すいてないのー」とニコニコしながら待つなんて、もう二度とそんな健気な馬鹿女にはなれないし、なりたくないもん。

 家族連れのどよめきの中、この13番カウンターだけは水を打ったような静けさで、エビにアワビにマグロにイカにカツオ叩きにローストビーフ、そして茶碗蒸しと次々平らげ、地味な色のお皿に金色のお皿とお気に召すままにカラフルに一面に並べて積み上げる。こんな風に自由になれてよかった。

 

 

 

引きこもりhankakueisuuさんをご存知ですか

彼はいま何歳になったのだろう。元気だろうか。何をしているだろうか。

とても鮮烈な言葉を書きつらねる人でした。

アルファブロガー半角英数のごとき表現者はもう出現することはないでしょう。

唯一無二、彼一身に属する言葉の輝きは、過去ログの中でしか見ることはできない。

 

時間が経つと

これからあれもしようこれもしようとワクワクしている時、時間は夢を運ぶ魔法の列車である。向かう先が虹色に輝いている。

いま手にしているものを眺める時、時間は時限爆弾のカウントダウンである。刻一刻と吹っ飛ぶまでの恐怖に震える。

心の持ちようで同じ時間が良くも悪くも感じられるのは不思議だと思った。

そして…さきゅん50代になる

はてなダイアリーが無くなって、はてなBlogだけになるのだとの

アナウンスを聞いた時

こうやって一つの時代が終わるのか的な感慨にふけりました。

 

 旧ダイアリーからはてブロへの移行作業をして

久しぶりに過去ログを読みました。

あの頃ワイワイとネットで集い騒いでいたはてな村の皆さんは

もはやブコメですらidを見かけなくなってしまった人もいましたし、

変わることなくコツコツとブログの更新を続けている人もいました。

 

私のブログは2年前に書いたのを最後に更新は途絶えていました。

その後で起きた様々なことがありました。

持病が発症して倒れ瀕死になり、二度の入院手術を経ました。

長年苦楽を分かち合い、人生の同志と信じてた人に騙され、

犯罪被害者になりました。

こう書き連ねていると悲しいことばかりのようです。

 

幸運なことは病気を抱えつつもどうにか持ち直し

毎日働けるようになりました。

料理をしたり、愛車で出かけたり、好きな服を着たりできます。

たまに会ったり、とりとめないやりとりをする、そんな友達もいます。

気が向けばお気に入りのカメラで写真を撮ることもあります。

 

過去ログの私は あまりにも無防備で素直で子供のようです。

これではタチの悪い人に目をつけられて意地悪されても

むべなるかな。

今でも本質的には変わらないところもありますが、

前と決定的に違うのは

”もう誰も信じない”

根本的に変わりました。

 

インスタ映え、マウンティング、リア充自慢、そんなフレーズがピッタリの

他者にいかに見られるかを意識した自己表現の場はたくさん増えました。

もはやブログなんて、長たらしくて読むのも億劫という感すらします。

誰かに褒められて、誰かに見られて、誰かと繋がる(という幻想も含め)

ことをこれほどたくさんの人が求めていたんですね。

 

 過去ログには、貧しさの中で必死に働いて勉強して苦しい中もがいて、

日々のささやかな出来事の中で喜んだり悲しんだりしている私がいました。

倒れた時あのまま死んでいたら、これらの言葉はウェブ上の残骸になって

いたのかと思うと、例え誰に顧みられることがないものだとしても

もう少しカッコつけとけば良かったか?とも、思ったりしています

トホホ(><);

 

 さきゅんは生き延び、ついに年齢50代に突入しました。

けんしょうえんいたいものだね

ねんどまつのおおいそがし、しんねんどにはいっても
朝五時起きーの
帰宅が夜の9時10時では
非体育会系にして体力ありませんの自分、疲れたよ。

GWでだいぶ回復したが

これからの働き方工夫して
契約期間もたせなくちゃ。

忙しくても休憩、取り方

いい方法ないですか