サキュバスの晩餐

sakyunの日記

近頃のニュースで

少子化といわれているにも関わらず 働く親が子供を保育園に入れようとしても、保育児童数が満員で、順番待ちになる待機児童が多いという話である。
この手の話題に必ずついて回る枕詞が「不景気の影響で はたらく母親が増えた」だ。

「そうなのかな?」ぼんやりと思うのである。他人の家庭だし他人の家計だから、人それぞれ、価値観があるのだろうと思う。お金は大切だ、そりゃもちろんそうだ。でも...。お母さんは働くことを選んで、働きながら幸せなのだろうか?子供はどこか見えないところで働いているお母さんがいて幸せなのだろうか?
持家を買えずに賃貸住まいのうちに年月が経ち、賃貸保証人になってくれる血縁者がみな鬼籍に入ってしまったのでは老いて住むところなく困り果てるであろうし、小さかった子供が育ちやがて進学時期となってから、貧すれば窮すで進路変更をせざるを得なかったりするのも確かに困る。今の貧乏のために働くのではなく将来に備えて働くのは 責任ある大人として間違っていない、たぶん正しい。

愛情を金銭で量ることはかなわなくとも、時間におきかえることは可能ではないだろうか。ともに泣いて笑ってすごした時間が愛情の量ではないだろうか。子供とすごす時間は すぎさってからは取り戻すことはできない。外にお金を稼ぎに行くことも尊い。その一方で、目を配り心を通わせて子供を大切に育てることも比べようも無くすばらしい行為なのだとおもう。

お金がないからお母さんも働かなくちゃならない、ではなくて、その前に働くかどうかは別として、普通のお母さんとして暮らしても充実して幸せになれる道があるならば、焼け石に水と保育園を増やさずとも、子供を大切に育てたくなるのではないだろうか。