サキュバスの晩餐

sakyunの日記

たまたま個人的な体験にすぎないので

まさかそんな認識が日本全国津々浦々まかりとおっているはずもないのだろうとは思いつつ。

東北六県ではない友人と久方ぶりに電話で話すことがあった。その人は けっしてインテリではないし、かといって暗愚なDQNでもない、いうなれば知的中間層に属するのではないかと思う。
友人は、まるで 東北にいる人間も食べ物も土も空気もくまなく放射能に汚染されているような感覚をもっているらしいのである。ばかばかしいとは思うのだが、東北産の食べ物がスーパーで売っていても、汚染されてるんじゃね?な恐怖感がぬぐえず、避けているのだと言う。
おいおい東北っていったって広いのだからひとくくりにするのは無茶だよ、馬鹿言うなよ、
とは思ったが あえて言うのはやめた。きっと事実を説明したところで、不安や恐怖にかられている相手には、わからないだろうな、と諦めたのだ。

わたしは 友人の力説を受話器越しに聞き流しながら、目を閉じ想像した。
福島県外の東北の人は福島全土が汚染されているような感覚をもち、東北県外の人は東北が汚染されているイメージをもち、西日本の人は東日本一帯が汚染されているイメージをもち、日本国外の人は日本全土が汚染されているイメージをもつのかもしれない。そして自分だけは清く正しく美しく、透明な他人には見えない防護服を着ているかのような感覚で スーパーの食べ物から日本製工業製品まで 「賢く避けて」いるつもりなのだ。

ここでのポイントは あえて自分を除いて汚染されているところが他にある、というイメージを 根拠もなく信じ込んでいることだ。

政府は正しいことを発表せず、地方の役人も同じ、政治家は役立たず、と、原発事故からそれにかかわる情報公開の不始末のせいで、人々の信用を失ってしまっている。だれもなにが正しくてなにが誤りであるのか、事実はどうなっているのかがわからず、信じていいものが見えない。こんなときこそ、マスコミや学識者の出番となるはずなのだが...どこへいった?
結局耳にやすやすと届くのは、不安に付け込む安直なメールのデマや妄想めいた仮説。

東北にいれば 復興しようとがんばっている話、悲しみから再起をかける話が テレビのローカル放送の時間帯になるとすし詰めに流れている。だが、この放送から伝わってくるいまの東北の痛々しく弱々しくもけなげな誠意は 東北から遠く離れたところに暮らす私の友人には伝わっているのだろうか。

もっと正しい知識を、正確な事実を、そして他人事の痛みには明日は我が身かもしれないという想像力を。