サキュバスの晩餐

sakyunの日記

3月11日のこと:3

東北地方太平洋沖地震
まるで巨人の手の内で転がされるダンゴ虫のような気がした。まだまだ揺れる。もうそろそろ止まってもいいんじゃね?しかしまだ揺れる。
「えー!もぉいいかげん止まってよぉー!揺れ過ぎだわー!もーやだー!」
と、地面に向かって文句をつけた。
 
どのくらいの間揺れていたのだろう?時間を測っていなかった。長く感じた。いままで経験した地震の中で一番揺れたし長かった。

その後も なんども余震がきた。さっきの地震の後でなければ、余震なんておまけみたいなものでなく かなりの地震でびっくりものだったろうけれど、そのたびに机の下に潜るのもおっくうになってきたので 揺れている中じっと立っていた。一部の棚の書類が雪崩を起こしていたが危ないから近づかないことにした。たぶん今日明日はまだまだ揺れて落ち続けるだろうし放置。内壁の一部がひび割れたりはがれて崩れている。鉄骨でもかなり建物がきしんだのだろう。

パートのおばちゃん達は 家が心配だと大騒ぎしてあっというまに早退していった。責任を取るのを避けたい上司が可も不可も言わないで黙っているのなんて承知のうえでさっさと消えてしまった。わたしは住まいのおんぼろ長屋に戻る方が 余震が強い今はかえって危険だろうと判断して 定時まで会社に残ることにした。本社から 本日の業務終了のお知らせが電話できた。もちろん 来客なんて誰も来なくなった。社屋の電気は止まった。自家発電システムは?どうしたんだろう?テレビもネットも見れないから震源も震度もわからない。噂で宮城県沖みたいだよと聞く。おじさん社員は速攻で商店に走り飲み物とカップ麺を段ボール一杯抱えて帰ってきた。泊まり込みになる社員の分かとおもいきや自宅用だった。
終業時間が来て、片付け作業を終えあいさつをして退社。いつものように。
町は静まり返っていた。スーパーもコンビニもガソリンスタンドもロープをはったりバリケードを築いたりして閉店している。ゴーストタウンってこういうことをいうのかな。冷蔵庫の中身は何が残っていたっけ?停電してだめになりそうなものあったかな?思い出しながら家路を急いだ。

夕方から夜になっても停電は続いた。街灯も店舗の光もなく、街中がどっぷりと真っ暗闇に浸かった。この夜の空は気味が悪いほどの莫大な数の星が見えていた。
家の中の温度は5度以下だっただろう。暖房は灯油と電気がなければつかないファンヒーターだから、停電のときは使えない。布団を懐中電灯の灯りで敷いて、ホッカイロを2つ挟んでおく。寒さに震えながらスナック菓子とジュースで晩ご飯にした。乾電池で聞けるミニラジオを枕元に置くが もっぱら福島の原発関係が中心。なにがどうしてどうなったのかさっぱり状況がわからない。金曜の夜だ。土日は仕事は休みだ。なんだかよくわからないけれど、明日になって日が昇れば、もっといろんなことがわかるはずだ。
このころは まだ 電話も携帯も使えた。携帯メールもできた。最低限の連絡はついたので布団に潜った。余震がしじゅうくるたびに目が覚める。まんじりともせず 夜が明けた。

翌日 部屋のちらかったものを片付けて街に出た。給水タンクで列をなす人が見えた。水を待つのは5時間かかるのだという。あんなに日頃愛用していたコンビニと大型スーパーはバリケード状態のまま閉店中。いままで入ったこともないような地元の小さな食料品店のおじちゃんおばちゃんが一生懸命 お店の中にあるものを販売している。棚は空っぽになっている面積が広い。食べ物からなくなってきているのがわかる。その店で、カイロを買い足し家へ戻る。携帯のワンセグでテレビをみればもっといろんなことがわかるだろうが、充電ができないので使うのが怖い。インターネットも使えない。ラジオで海岸部が津波で大被害を受けたことを知る。携帯の基地局は午後つぶれたらしく、圏外になっていた。プロパンガスは生きていた。(都会の都市ガス区域はガスは使えなくなっていたそうです)お湯を沸かすときにほんのり暖かい。暖かいものを飲んでいれば体が少しあたたまる。朝晩寒くてたまらない。冷たい空気を吸いすぎないようマスクをしてすごした。冷凍庫からごはんを出してお湯で煮ておかゆをつくった。あったかいのでほっとする。明るいうちにすべてやることをすませて、暗くなったら布団に入りじっとしている。余震がしじゅうあるので緊張感が続き疲れる。