サキュバスの晩餐

sakyunの日記

と、いった表現が

正しいのか、そうでないのか自信が無い。ようは新聞、雑誌のたぐいのことである。
もともと読まなかったけれど、ほんとうにこのごろ 週刊現代だの、週刊ポストだの、読まなくなっちゃったし、歯医者や美容院の待ち時間つぶしに雑誌箱から女性自身をつまみだして拾い読みする程度になってしまった。ファッション雑誌に至っては最後に見たのはいつのことだったろう。本屋で見るところ 付録のポーチやエコバッグやシュシュばかりが本体のほうよりキラキラ輝いており、雑誌のメインであるべき記事の魅力は陰に隠れてしまったように思える

情報はネットの方がはやくなってしまった。紙の記事のほうが後追いになり、あるいはネットの論調に影響されているとしかおもえないものや、ネタをネットで拾ってきたと明らかにわかるものさえあるにいたっては、なんでわざわざ 紙情報を買わなくちゃいけないのさもったいない、となってしまう

そんなことを思いながら、美容室の待ち合い椅子で週刊現代のページを繰っていた。薄い、実に内容が薄い、なんとまあ!と嘆息しつつ読んでいて、ふと気づいた。本当に この本の数十ページにわたり破り取られてなくなっているのだ。この土地に引っ越してきてから こういうことは初めてではない。病院の待合室で 目の前に座った中年女性が平然と雑誌のページをビリビリと破きはがすと そのままバッグに収めて立ち去ったのを見たこともある。もしかしたら この地方は 店で置いている雑誌は ご祝儀的に持ち去ってもよいという文化があるのかもしれない。もし本当ならケンミンショーのネタになるっぽい

持ち去りたいほど有益な情報が掲載されている限り 紙媒体もまだまだイケるのかもしれない。

ちなみにわたしは新聞は読んでいる。あのインクのにおいをかぎつつ コーヒーを飲まないと 便秘になってしまう気がするからね