サキュバスの晩餐

sakyunの日記

損得とか予防とかではなくて

http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20090111/1231678957
それ違うのではないかなぁと 読後感。
池沼息子を公園のトイレに連れ込んで ホースで絞め殺した鬼母の時にもあったのだけれど 子殺し系のニュースになると むやみに母擁護に立つマザコン系論者や旦那の給料で遊び暮らしている既婚女性が我も我もと擁護をなすというのはどうしたものかと嘆かわしい。深読みすれば 今回の子供焼け死んだ事件であてはめていえば 社会のシステムとして 好きな時に子供を預けてパチ行けるしくみを作らなあかん、と いう論調が聞こえるのだが、どうしてなるんかのぉ?すごく変だよ。
事件に対して怒っている人は ネットの発言で叩いて得になるから叩くということではないのだと思う。同じように 擁護している人がなにかいったからって 何になる?どちらも無益無力、もしかしたら何かをちょこっとは変えるかもしれないが なんにもならない、大半。それでも 批判でも擁護でも どちらもそれぞれ書くのは なぜなんだろう?
わたしの場合は これを書いているのは ニュースを知って怒りを感じたからとしか言えない。だって 生きながら火に焼かれる苦しさ どう思う?母ちゃんにも息抜きが必要だからしゃーないか なんて 思いながら死ねるかよ?他人事ながら腹立つよ。ねえ、焼死死体見たことある?酷いもんだよ、真っ黒けで炭になっちゃってさ、人の姿とは思えない。人が焼けるにおいかいだことある?忘れられないよ。パチ好き母ちゃんには怒りを感じるなっちゅうのが無理。そんな女 死ねとは言わないけれど、不妊手術ほどこしてこの先一生子供産ませないようにして 頭剃って 尼寺に篭って一生供養していろ、ぐらいに怒れる。なんとかしてあげたいとかお気持ちわかりますなんて、歯が浮いて倒れそ。パチ母ちゃん、行き先を嘘付いてごまかすなんて 子供全員亡くしてもなお罪を感じるどころか 結局自分だけが大事な馬鹿女だったじゃないのさ。同情する気にはなれない。
子供保育園に預けながら浮気を楽しむ母ちゃんは 保育制度を利用して 子供を死なすことはないだろうから 社会的非難を浴びることは無いだろう。たぶん誰にも知られず ほどほどの逸脱を堪能して また家庭に戻って行くだけだ。子供を幼稚園にあずけて パチ通う母ちゃんは 子供を死なすことは無いから これも 文句は言われない。           だが それと 乳幼児を置き去って やらなきゃやらなくてすむ遊びにふけるのを同列に語るのは 意味が違う。この辺は 乳児の実際にあのふにゃふにゃしたのをいじった人とそうでない人の差で どうしても理解できない部分なのだろう。母だから全てにおいて立派でなければならんとはいわないが、人間だものオンナだもの好きにしていいよどうぞどうぞと 甘やかしてもいいことないよ。できのいい母に育てられた人に限って...まあ わからないのだろうという気はする。でも 怒って当然のことを怒っているのを 何の役にも立たないという視点で語るのは 鈍感過ぎやしないかと思う。