サキュバスの晩餐

sakyunの日記

こわくて泣いた

情けない話なんだけど 怖くて泣いてしまった。
自分の病気関連の記事はメインのブログにまとめていく方針なんだけどhttp://blog.livedoor.jp/sqeen1/archives/cat_50011153.html
そこには同じ病気の人も見にくる以上 書けないこともある。ここは検索ロボットにひっかからせたくないので 病名は書かない。メインのブログには何度か病名を書いている。

同じ病気の女性でブログを書いている人がいる。糖尿体質、人工透析、腎移植、とハードな体験を越えて、やっと落ち着いた頃、わたしと同じ病気が見つかったという。
会社で働いたり、学校に通ったり負荷の高い行動はできないようだったが、普通に自立行動は可能だったようだった。心優しく ポジティブシンキングで かわいらしい女の子なのが 絵文字いっぱいの文面から伝わってきた。がんばれ がんばれ!とロムりながら 心の中で応援していた。彼女を大切にする 親や医療スタッフ、そして去年は恋人らしき男性も登場して 良かったなあ、と 思っていた。

ところが 年が明けてから 彼女の体調が暗転した。
腎臓の代謝機能を示す数値が著しく悪くなっていた。このままだと 移植した腎臓が炎症で悪くなってしまう。腎臓が悪くなると 強烈に痛いということはないが全身の倦怠感 発熱の自覚症状がともない とても苦しい。悪化すると全身に毒が回ったようなもので命に関わる。しかも とうとう呼吸機能が限界を越えて 酸素を補給する機械を使うことになってしまったそうだ。家庭用と携帯ボンベの両方を ただちに使うことになったという。彼女は相変わらずの明るい文面で こんなふうになっちゃいましたーと、酸素供給機械の写メをアップしていた。”自分は案外 悪化しないで 低空飛行のままでも普通に生きられるんじゃないかと思っていたが、着実に病気は進行していたんだなー”と、いった意味のことが書かれていた。そのとおり、わたしも 心のどこかでそう思ってすごしてきた。でも 彼女は 病に次の段階へ入らされてしまった、望みもしないのに。

だめだった。もう ここで 本当に怖くて泣いてしまった。別に彼女は 同病者を怖がらせるために写メをアップしたり書いたりしていたわけでもないし、恨みもしないけれど、怖かった。彼女の発症からまだ1年経っていない。明日は我が身、その現実に怖くて泣いた。悟ったようなこと、強がって言ったり書いたりしているが、現実を前にすると ただ泣いてしまう。

酸素ボンベ生活は 自由な社会生活から 意識はあるのに事実上の植物人間のように 行動が不自由になることを意味する。機械は電気で稼働するから停電対策も必要になる。なによりつらいのが おしゃれも化粧も楽しみたい女の子なのに 外に出る時は酸素ボンベを引きずりながら 鼻にチューブを差して そろそろと動かなければならないという外見のつらさである。どうみてもかわいいとは自分で思えない。こうしなければ死ぬといわれれば やらざるをえないか。詳しくはわからないが費用もかなりなものらしい。もう わたしの場合そうなったら 貧しさ故に死ぬしかないかも。

彼女はとても ほんとうに いい人なのである。天使のような、というか。わたしのように 悪態ついたり Disったり 愚痴ったり 嫌み言ったり 八つ当たりしたり 医者に反抗したりけなしたりしないし。こんなにいい人がどうしてこんな?と 思わずにいられないような、信じられないくらい善意の人だ。

因果律的な発想でものを言ってザマアとせせら笑うおっさんや、自己責任論を振り回す精神的チェリーボーイを わたしが大嫌いなわけは、酷い目に遭う理由などかけらもない人が苦しんでいたり、横柄で傲慢な罰当たり野郎がぬくぬくリア充で女房子供にマイカーマイホーム物見遊山で享楽的な人生をまっとうしている現実を 無視してあたかも天秤を持った審判の神のように偉ぶるからだ。世の中は公平ではないし 平等でもない。

死んでみなければわからないけれど 昔の人は来世というものがあって そこで帳尻が合うのだといった。あるいは 極楽地獄という世界があって 現世でどれほど驕慢であろうと いつか地獄で清算されるのだと。冗談じゃない、ふざけんなと思う。いまの苦しみは 生きているうちに 解決してほしい。いま 幸せになれなくてどうする。くそつまんねぇ、運命なんかいらない。