サキュバスの晩餐

sakyunの日記

最高にイカしてるカレ

最近とみに更新が滞りがちで たまにアップされてもエントリが短くなってしまった とあるブロガー君の愛読ブログの過去ログを遡って 延々と読んでいた。
みずみずしい感性と はっとするような美しい言葉が特徴的で 読めば読むほど 煌めき瞬く言葉の星空だった。凡庸なる私には手を伸ばしても届きようの無い高みにあるものだ。
ブロガー君の更新が滞りがちなのは 健康状態がよろしくないのかもしれない。あるいは ミクシィ日記をやりだしてマイミク女子高生に囲まれハーレムのスルタン状態なのかもしれない。それとも忘我の境地でゲームに没入しているのだろうか。ブロガー君は 元気で 健康で 暖かい所で お腹いっぱい食べて 楽しくすごしているだろうか。
何も与えられないわたしだから 何かを要求するなんておこがましい。ただ 待つだけ。いつか ブロガー君の言葉にしたい思いが 雪のように降り積もり 閾値を越える時が来たら 新しいエントリも上がるだろう。たぶん、きっと。これは願いなのだろうか期待なのだろうか要求なのだろうか。いつでもいいよといいながら待ち遠しいというのは矛盾している。矛盾しているから嘘かといえばそれは違う。矛盾しているままで真実だ。どちらも本当なのだから仕方ない。これは まるで妻も愛しているが愛人も愛しているというふがいない浮気男のいいわけみたいじゃないか。わたしは浮気男よりも遥かにふがいなく情けない。忘れていいといいながら いざ忘れられたら寂しくて泣いている捨てられた愛人のようにみじめでみすぼらしい。あまりに切なく 次のエントリを焦がれて日々思っているものだからまるで恋をしているようだと男友達は笑う。言葉にできない遠くなってしまった悲しみが一瞬蘇りまた見失う。一人泣いた幾夜かがあったとしても、言葉は永遠に残りなにかを人の心に刻み残していく。心を支える柱が大理石のようなものであったとしたら そこに彫られた特別な言葉は消えること無くしっかと残り、現実の過酷さにを崩れそうな時を支え続けてくれる。